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和解の概要

和解の概要は以下のとおりです。竹内潔氏が懲戒解雇無効を申し立てた裁判において、富山大学が懲戒解雇取り消しと解決金の支払いを条件とする和解に応じたことは、実質的に勝訴といってよいでしょう。

1) 富山大学は、竹内潔氏に対する2013年6月6日付けの懲戒解雇処分を取り消し、処分を同日付けの60日の出勤停止に変更する。

2) 竹内潔氏は、2013年9月5日(出勤停止明け1ヶ月後)に自己都合で退職したこととする。

3) 富山大学は、竹内潔氏に対して解決金255万円及び退職手当残額約500万円を支払う。

和解の詳細については、下の富山地裁の審尋(和解)調書を参照してください。

 

 

 

2016年12月05日和解:和解について

竹内潔氏のコメント

11月29日に「竹内潔氏の復職を支援する会」世話人一同から、報道機関に送られたプレス・リリースからの竹内潔氏のコメントの引用です。ただし、原文にある強調(太字)は省いています。原文は下のpdfを参照してください。

 

■裁判では無根拠で不適正な手続きによる処分であることを主張■

懲戒解雇処分では、教授昇任人事応募、研究費申請、大学院設置申請の際の書類に、私が「架空」、「虚偽」の著書や論文を記載したとされました。

裁判では、教授昇任人事の際に提出した書類は、応募者の教育研究従事年数と論文・著書の「点数」が教授資格を満たしているかを確認する予備選考の段階で提出したものであり、富山大学が「架空」の記載とした論文は、ページ数や雑誌名を誤記しただけで実物があり、1点としてカウントされたことに間違いはないこと、富山大学がやはり「架空」とした著書の記載については、出版社等と刊行契約があり原稿もあったので「刊行予定」等と記載しましたが、これは文系の業績の記載慣行に照らしてなんら「虚偽」ではないことを立証しました。

また、富山大学が、私が「刊行予定」等と記載した著書を「点数」としてカウントしたかどうか明らかにしていないことなども立証しました。

さらに、誤記した論文と「刊行予定」等と記載した著書を除いても、私には教授資格の基準点数の2倍の点数の業績があったので、わざわざ「虚偽」を記載する動機がないことも明らかにしました。

なお、私は教授に昇任していませんが、これは、業績記載とは関係のない所属学部内の事情によるものです。

また、研究費申請書類については、たとえば、「架空」、「虚偽」の記載によって、富山大学の「学長裁量経費」1490万円(研究費)を私一人が不正に取得したという富山大学の主張に対して、刊行契約があった著書の記載が「虚偽」ではないことを主張するとともに、実際は私を含めて18名の教員が共同で申請した応募書類には応募者全員の多数の業績が記載されており、審査をおこなった富山大学自身が、私の1,2点の記載が経費の獲得に影響があったかどうか分からないとしていることも立証しました。

なお、獲得した経費は、申請者全員でほぼ均等配分しており、私一人が1490万円全額を受領したという事実はありません。
 
大学院設置申請の際の書類については、事務で書式の点検を受けるために出した準備段階の書類に、記載の指示にしたがって刊行予定の著書を記載しましたが、文部科学省に提出した正本(署名・捺印した書類)には刊行が遅れた著書の記載を削除していて瑕疵がないこと、富山大学が懲戒処分の対象とした準備段階の書類は扱った事務職員が不要書類として廃棄したことなどを明らかにしました。裁判において、富山大学は、この準備段階書類をどこから入手したのか、最後まで明らかにしませんでした。

以上のように、裁判では、私が「架空」、「虚偽」の業績記載をおこなったという富山大学の主張は、文系の記載慣行や多種多様な書類の性格や審査状況を度外視して、廃棄された書類までかき集めて恣意的に「不正」の例数だけを積み上げた根拠が無いものであることを立証しました。

懲戒処分に至る経緯では、私が病院で検診を受けるために届けを出して欠席した教授会で、あたかも私が虚偽の記載をしたことを認めたかのような報告がなされて、私は懲戒の審査にかけられることになりました。

また、富山大学の内部規則になんの規程もない「疑義調査会」という組織が設置されて、組織の懲戒の審査との関連やメンバーシップを私に知らせず、秘密裡に図書館員に業務を装わせて出版社や他大学に問い合わせをさせるといった不公正な手続きがとられました。

さらに、懲戒処分を審査する「懲戒委員会」の構成が理系の教員に偏っており、私の発言が理解されず何度も嘲笑を浴びたことを私が抗議したところ、同会の委員長からかえって処分を重くするという回答がありました。

私は、富山大学内では公平な審査は期待できないと判断し、2013年1月に富山地裁に処分差し止めの仮処分命令を申し立てました。

富山大学は、この申立のために事務負担が倍加したという理由で、懲戒解雇処分の量定に加えましたが、裁判では、これは、憲法が基本的人権として保障している「裁判を受ける権利」を富山大学が否定したものと主張しました。

また、富山大学は、私の「虚偽」、「架空」の記載のために、富山大学の教員が、日本学術振興会の科学研究費を獲得する割合が低下するとして、やはり量定に加えましたが、私は、日本学術振興会は私の記載を「虚偽」とはしていないことや税金が原資の科学研究費の審査において連帯責任制のような不当審査がおこなわれるはずがないことを主張しました。
さらに、上記の不公正な手続きや審査がおこなわれた背景には、私がおこなった内部通報が関連していると指摘しました。
 
■和解を受け入れた事情■

私は、以上の立証と主張によって、そもそも私の事案は懲戒処分の対象になるものではなかったことを明らかにしようとしました。したがって、出勤停止処分への変更という今回の和解は、懲戒権の濫用を富山大学が認めたという点では成果があったと考えますが、懲戒解雇によって、長く研究と家計の経済的基盤を奪われ、家族までが社会的な差別を受けることになった私にとって、十分に満足のいくものではありません。

また、私は16年の富山大学在職中に、およそ170名の学生を指導して社会に送り出しましたが、富山大学には真摯に学問を学ぼうとする学生が多く、もう一度彼らの教育を継続したいという思いも強くあります。

しかし、申立の裁判に勝訴しても、富山大学が異議申立や本裁判を求めると、さらに最低でも3年、裁判が続くことになります。申立の裁判に約2年かかったため、家計の逼迫の度合いが増して家族の将来が危ういこと、また、最終的に勝訴が確定したとしても、その頃には、定年間際になってしまうことを考えて、和解の道を選ぶことにしました。

また、富山大学は、この2年の間の裁判書面に、私の人格を否定する罵倒句をこれでもかというほど書き続けました。もはや、富山大学には、私の戻る場所はありません。新しい場所を探して、処分で喪った3年の間にできたことを少しでもとりもどしたいと思います。

このような次第で、私は和解を受け入れましたが、今後、富山大学で、不公正かつ恣意的な手続きや審査による処分がおこなわれて、教員の研究や教育の途が閉ざされる事態が二度と生じないよう、強く希望します。

 

2016年12月05日和解:和解について

支援の会世話人一同のコメント

11月29日に「竹内潔氏の復職を支援する会」世話人一同から、報道機関に送られたプレス・リリースからの引用です。

世話人は、以下のとおりです。
 京都府立大学名誉教授・赤阪賢
 京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科教授・太田至
 大阪大学人間科学研究科教授・栗本英世
 滋賀県立大学名誉教授・黒田末壽
 京都大学文学研究科教授・松田素二

なお、原文にある強調(太字)は省いています。原文は下のpdfを見てください。


■全国の大学に例をみない異常で杜撰な処分で竹内潔氏の社会的生命が奪われたこと■

竹内潔氏に対する懲戒解雇処分は、文系研究者の常識から見て、きわめて異例で、異常なものでした。

たとえば人事の場合、文系では、公刊され内容が確定している著書は研究業績として認められ審査対象となりますが、研究業績リスト等に「刊行予定」等と記載された未公刊の著書は実際に公刊されるまで内容が確定しませんから、研究業績として認めるかどうかは、個々の人事選考を担当する委員会の責任と裁量に任されます。

委員会では、一切認めない場合もありますし、研究業績として認める基準(原稿、出版証明書、ゲラの提出など)を設定する場合もあります。研究業績リストに記した著書が設定された基準から外れた場合、記載したことが咎められるということは生じません。たんに、その著書が審査対象から外されるだけです。

つまり、応募者は、研究業績リストに記載した未公刊の著書の取り扱いを審査側に委ねるのが文系の慣行です。まして、竹内氏の人事や学長裁量経費の場合では、審査側から、研究業績として認める基準が示されることさえなかったのですから、同氏の記載が問題になるはずはありません。

実際、私たちが知るかぎり、全国の文系学部で、研究業績リスト等の業績記載で、懲戒解雇はおろか、軽度の懲戒処分を受けたという事例もありません。

富山大学は、学術雑誌に受理された時点で論文の記述内容が確定するために厳密な基準が設定できる理系の基準を援用して、強引に竹内氏の記載を「虚偽」・「架空」と断じ、さらに研究者にとっては目次にすぎない研究業績リストの記載を「経歴の詐称」とみなすという著しい拡大解釈をおこなったのです。

このように、竹内潔氏に対する懲戒解雇処分は、異例かつ異常なものと言わざるをえないのですが、富山大学自身が不要として破棄した書類の記載までが問題となったことや竹内氏のために富山大学教員の科学研究費の採択率が低下するという主張、竹内氏が処分差し止めの申立をおこなったことについての憲法を無視した罪状の付加などにいたっては、常軌を逸しているとしか表現できません。

この種の理由がまかりとおるのであれば、どの大学のどの教員もいつ懲戒処分を受けても不思議ではないと言っても過言ではありません。

懲戒解雇は、再就職が困難なため、「労働者に対する死刑宣告」と呼ばれますが、社会的信用が重視される大学教員の場合は、社会的生命を完全に断たれるのに等しい処分です。さらに、竹内潔氏の場合は、ご家族にまで、誹謗や友人関係の断交という苦痛がもたらされました。

とりわけ慎重であるべき大学における懲戒解雇が、大学人の常識からかけはなれた杜撰な理由でおこなわれたのが、富山大学が竹内潔氏におこなった処分なのです。

■国立大学法人2例目の懲戒解雇取り消しの和解は実質的に勝訴であること■

和解については、国際的に評価を得ている研究の総括の時期に入っていた竹内氏が懲戒解雇処分や長期化した裁判のために研究が継続できなくなっていることやご家族の逼迫した事情を考慮すると、竹内氏の復職を願っていた私たちとしては残念ではありますが、受諾が現実的な選択肢だと考えています。

ただし、私たちは、今回の和解で懲戒解雇処分が取り消されたことについては、富山大学による懲戒権の濫用が認められた実質的な勝訴であると、一定の評価を下しています。巨大な大学組織を相手とする裁判は個人にとってはきわめて困難なものです。

国立大学の法人化以降の12年間で、今回の竹内氏の件以外で、国立大学がおこなった懲戒解雇処分が取り消された例は、2011年3月の那覇地裁における琉球大学教員の事例(停職10ヶ月への変更)だけです。今回の和解での懲戒解雇取り消しは、この例に次ぐ2例目となりますが、この点でも評価しうると言えます。

私たちは、2004年の国立大学の独立行政法人化以降、学内行政が管理側による恣意的な「支配」に変わりつつあるという危惧を持っていますが、竹内氏の懲戒解雇は、このような変容がもたらした突出した事例だと考えています。

竹内氏の懲戒解雇問題は、裁判では和解で終結しましたが、この処分は大学の民主的で創造的なあり方を考える際の多数の問題を含んでおり、今後、多くの大学人によるより詳細な検討が必要だと考えています。 


2016年12月15日和解:和解について

和解と報道についての代理人弁護士(岸上英二、佐伯良祐弁護士)のコメント

和解及び報道について

2016年12月22日
         

竹内潔氏代理人弁護士 岸上 英二

同      佐伯 良祐


1.本和解の評価
 裁判における主張立証活動の結果,竹内潔氏に対する懲戒解雇を撤回する内容の和解を成立させることができました。懲戒解雇が有効であるならばこれを撤回する必要がなく,また,竹内氏に対して約750万円もの高額な金銭を支払う必要もないので,当職らは,この和解を,富山大学が竹内に対する懲戒権濫用を認めたものと評価しています。

2.報道について
 なお,報道によると,富山大学側は,本和解成立後,「大学側の主張通り,業績の虚偽記載は認定され,復職も認められなかった」という趣旨の発表をしているようですが,このような発表内容は事実に反します。
 裁判所は,民事裁判の和解手続において,当事者の主張する事実の存否を認定しません。したがって,「業績の虚偽記載が認定され」ることはあり得ません。また,竹内氏と富山大学は,今回の和解手続において,懲戒解雇処分を取り消し,出勤停止60日の処分に差し替えることを合意しましたが,このことは,裁判所が,竹内氏が出勤停止60日相当の不正行為をおこなったと認めたことを意味しているわけでもありません。
 加えて,同様の理由で,裁判所が竹内氏の復職を認めなかったというわけでもありません。竹内氏は,紛争の早期解決という観点から,自己都合により退職するという条件や富山大学が約750万円を支払うという条件を了承したに過ぎないのです。

以上 

同内容のpdfは下のアイコンをクリックしてください。


2016年12月22日和解:和解について

他の国立大学では想定しがたい処分ー国立大学の監事職経験を持つ堀龍之弁護士

平成28年12月24日

丸の内綜合法律事務所
弁護士 堀 龍之

私は弁護士として、国、地方自治体、独立行政法人及び民間企業における懲戒処分の適否に関する訴訟や示談交渉等を主として使用者側の立場で多数経験してきました。そのような経験及び専門的立場から、標記和解の経過及び結果に関する評価を述べた上で、意見を申し述べます。

なお私は、8年間にわたって国立大学の監事を務め、国立大学における懲戒処分手続きについての知見も有しています。


1  国立大学法人富山大学(以下、「富山大学」といいます。)が竹内潔氏に対して平成25年6月6日に行った懲戒解雇処分(以下、「本件処分」といいます。)の適法性が争われた仮処分申立事件の記録によりますと、富山大学の本件処分は適法性を欠く違法な懲戒処分であったと考えます。
その主たる理由を以下に述べます。

2  富山大学は本件処分の理由として、大要、①竹内潔氏が人文学部の教授公募の際等に作成・提出した種々の業績一覧表の内容に未刊行業績等に関する虚偽の記載があり、②この非違行為は「重大な経歴詐称」に該当するから懲戒処分が相当であると主張していました。

被用者を非違行為により懲戒解雇することが認められるのは、当該処分が刑罰における死刑に等しい重大な懲戒処分であることからすると、①非違行為の存在が十分に認定できること、②当該非違行為が重大な違法性を有しており、懲戒解雇以外のより軽微な懲戒処分によることができないこと、③他の被処分者に対する懲戒処分とのバランスを失していないこと、④処分対象者に十分な弁明の機会を与えるなど、適正な 手続きにより懲戒処分が審理されること、などの要件を全て満たす場合に限られます。

3  富山大学が指摘する竹内潔氏の「非違行為」は、富山大学の現教員や名誉教授、他の大学の人文学系の研究者などの評価基準によると、自身の業績として記載することが許容されると解する者の割合も相当数あり、一概に虚偽と断定するには躊躇せざるを得ません。

富山大学は、研究案件を取り扱う特則を竹内潔氏には適用せず、同氏が専攻する人文学系の教員を除外したメンバーのみから構成した「疑義調査会」を組織して調査を行い、さらにやはり人文学系の教員が含まれない懲戒委員会で審査を行いました。

「疑義調査会」が富山大学の諸規則に根拠を有しないことは措くとしても、未刊行業績を業績一覧表に記載することの可否について人文学系の教員が含まれない二つの組織で調査と審査を行って「虚偽」と判断したことは、懲戒手続における判断の適正性を欠くものといわざるを得ません。

4  竹内潔氏が作成・提出した業績一覧表の記載中虚偽とされるものはごく一部であり、しかもその多くは些細な記載ミスをあげつらうものであることに加え、竹内潔氏が教授公募における自身の優位性を図るために記載したとは到底評価できないものであること等を考慮すれば、この「非違行為」が重大な違法性を有していると判断することは困難です。

5  富山大学における過去の懲戒処分においては、入試合否判定のミスにより16名の合格者が不合格になった事実を2年以上隠蔽することを組織的に主導した学生部長が懲戒解雇処分を受けた例がありますが、この組織的隠蔽に荷担した学部長は停職12か月の懲戒処分を受けただけでした。

ほかには、4700万円以上の研究費を不正使用した医学部教授と盗撮により現行犯逮捕された教員は諭旨解雇に処され、無免許のうえ飲酒運転で起訴された教員は停職4か月の懲戒処分を受けるにとどまっています。

これらは、入試事務という大学の根幹的な業務において著しく不適正な行為を長期間継続して教育研究機関としての信頼を失墜させた重大事案であったり、組織的秩序を著しく害したり事案であったり、明白な刑事事件に該当する行為ですが、竹内潔氏の「非違行為」は大学の信頼失墜や組織秩序を害するものとは到底言うことはできませんし、刑事事件該当の可能性などはまったくありません。

したがって、他の懲戒処分に比し、竹内潔氏に対する懲戒解雇処分が著しくバランスを欠き重すぎる処分であったことは明白です。

6 本件処分は富山大学の諸規則に何の根拠も有しない「疑義調査会」の調査により疑義が報告され、この報告に基づいて人文学系の教員のいない懲戒委員会における懲戒処分の審査が進められました。

また、その手続きにおいて、竹内氏に弁明の機会を十分に与えたと評することは困難です。これらの蝦疵により、本件処分は適正な手続きの保障を欠く懲戒手続きによりなされたものと評価せざるを得ません。

7 以上の諸事実から、竹内潔氏に対する本件処分は適法性を欠く違法なものといわざるを得ません。

少なくとも私が知る限り、富山大学の行った本件処分の懲戒手続のような杜撰な懲戒手続は他の国立大学法人では想定しがたく、また、富山大学の認定を前提としても懲戒解雇処分が強行されるなどということはあり得ないことと思います。


2017年01月05日

和解では実質的に竹内氏の主張が認められたー国立大学の監事職経験のある堀龍之弁護士

平成28年12月24日

丸の内綜合法律事務所

弁護士 堀 龍之

 裁判上の和解においては、双方の主張の当否や事実の存否については判断されず、互譲により紛争の解決が図られます。

 本件の和解条項を拝見しますと、富山大学が懲戒解雇処分を取り消して出勤停止60日の処分とし、竹内潔氏は出勤停止期間終了の1か月後に自己都合退職すること、富山大学は解決金等約750万円を支払うことが合意の骨子となっています。

 本件仮処分においては、富山大学の行った懲戒解雇処分が適法であったかどうかが激しく争われたものですから、裁判所が本件処分の適法性に疑念を持ち、相当強く本件処分の撤回を富山大学に示唆しない限り今回のような和解はあり得なかったものと思われます。

 懲戒解雇を取り消した上で出勤停止60日の懲戒処分を行い、出勤停止期間終了後に自己都合退職するという和解条項は、本件処分の正当性を自ら否定することができないという富山大学の体面を考慮し、実質的に竹内潔氏の主張を認めさせるという裁判所の配慮によるものと思われます。多くの法律実務家は同様の評価をするものと思います。

2017年01月05日和解:和解について

処分は「研究業績の評価」と「業績リストへの記載」を意図的に混同したものー松田素二氏(京都大学教授)

以下は、2016年2月25日付けで富山地裁に提出された松田素二氏(京都大学文学研究科教授)の陳述書の抜粋です。

同氏の許諾を得て、掲載します。

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この陳述書は、私の研究者および大学人としての経験にもとづき、公平な視点から書かれたものであることを、 あらかじめ、お知らせしておきます。

「刊行予定」に関する富山大学側の主張をみると、そもそも「業績」についてどのように捉えているのかという出発点が、人文社会科学系の慣行とはずれているように思えます。

この点について富山大学の主張は下記の2点に要約されると考えます。

1 本来研究業績とは公刊されたものであり、そうなって初めて業績一覧リストに記載が許される

2 例外的に物理的「実体」がある場合、研究業績として扱う慣行がある。その「実体」とは( 1 )ゲラがある場合( 2 )組版にまわす原稿がある場合である。


この主張はいっけんもっともらしく見えますが、そもそもこの点が人文社会系の現実(慣行)とは大きく異なっているのです。
まず研究業績として評価されるのは、公刊されたもの以外にはありえません。まだ公刊されていないものを、ある研究者の研究業績として社会的に評価されることなどあるはずはないのです。

富山大学側の主張は、「研究業績の評価」という研究者の核心点と、「業績リストへの記載」とか「例外の事例」などの「審査のさいの手続き」を混同させている点で、基本的に間違っていると言わざるを得ません。

研究業績の社会的・学術的評価は公刊されたもので行われますが、審査のさいの業績リストへの記載については、刊行予定業績も含むことは慣行的に認められています。そのさい、どのレベルのものを含むことが適切かという公的な(文部科学省、日本学術会議、日本学術振興会、さらには個別の学会が定めたという意味での公式ですが)基準は存在しません。

そもそも、こうした本来の業績(刊行済みのもの)以外の業績の取り扱いについては、審査委員会もしくは審査委員の専権事項であり、ある委員会もしくは委員はまったくとりあげないという決定をしたり、別の委員会もしくは委員は、ゲラのみ認めると判断したりします。 その場合でさえ、 刊行済みと同等の業績として取り扱うかどうかは、そのときどきの審査委員会もしくは審査委員の判断に委ねられているのです。

したがって、 この本来業績には含まれない「業績」は、 業績審査のなかではまったく周縁的な情報にしかなりえません。 なぜならいかにゲラがあろうが、 原稿があろうが、 予定であろうが、 「刊行済み」ではないのですから、 「刊行の予定さえ担保されていれば、どのレベル(たとえ学会報告の概要のレベル)で、あっても記載は自由です。

また、 業績リストに、 どのような記載の仕方で刊行予定業績を記載しても、 審査する側にとっては「刊行済み」の業績とは異なり、 周縁的な情報でしかないということに、 なんらかわりはなく、審査側に取扱いの判断が委ねられていることになんらかわりありません。審査委員会もしくは審査委員がそれをどう取り扱うか決定し一律に適用することによって、 公平性は担保されるからです。


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2017年01月12日コメント:弁護士・研究者のコメント

処分は内部通報に対する報復と考えなければ理解不能ー黒田末壽氏(滋賀県立大学名誉教授)

 

以下は、2016年2月25日付けで富山地裁に提出された黒田末壽氏(滋賀県立大学名誉教授)の陳述書の抜粋です。
同氏の許諾を得て、掲載します。

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実験によって仮説の是非を明らかにするクリアーでシンプルな結果が求められる自然科学系の領域と、多様で流動的な社会現象をその内部に入って研究する人文系のフィールド学問の領域では、データの性格と論文化するプロセスがそもそも異なります。

そのことから、 これらの分野間で「未刊行」業績の取り扱い慣行が異なっているわけです。理系の実験系に見られる原則を、無理矢理に、 すべての学問分野の一般通則だとして「未刊行」業績の記載を「虚偽」と決めつけ、 それをもって竹内氏を懲戒解雇にした富山大学の論理に正当性があるとは思えません。


富山大学では入試の合格者をあやまって不合格にした結果を組織的に隠蔽し続けた事件がありました。竹内氏は、隠蔽が発覚した後も、 富山大学が発表しなかった重大な事実があることに気づいて、富山大学や文部科学省に内部通報をおこなった人物です。

今回の竹内氏の懲戒解雇は、研究者や大学一般の常識からあまりにも外れた前代未聞の処分であります。私には、これらの通報に対する報復という側面を考えなければ、竹内氏への処分は理解できないほど過重なものであるということを、最後に言い添えておきます。

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2017年01月16日コメント:弁護士・研究者のコメント

独善的に想定した「研究者の一般常識・規範」による研究者抹殺の処分ー佐藤俊氏(筑波大学名誉教授)

 

以下は、佐藤俊氏(筑波大学名誉教授)の意見書の抜粋です。
同氏の許諾を得て、掲載します。

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研究業績目録における刊行予定物の記入要領を明示せず,その書式も様式化するのを怠り、しかも,研究者コミュニティや学界の趨勢として刊行予定物の記載の可否と表現が研究者個人にゆだねられているという現実に目を閉ざしている場合には、人事審査の公正さが疑われることになるでしょう。

竹内潔氏を懲戒解雇とした時点で、富山大学に、刊行予定物の記載と取り扱いについての明文化された全学的規則が存在していたのかどうかについて、私は知りませんが、懲戒処分理由をみると、そのようなものはなかったように推断します。

富山大学に、そのような規定が無い場合は、刊行予定物の記載を咎めることはできません。その逆に、富山大学に、そのような規則が存在していたとしても、記載規則に違反した場合の対応は、たんに当該の業績を審査対象からはずすだけですむはずです。

むしろ、研究者は、研究内容をアピールする自由な思いから刊行予定物を記載します。これをうけとめる人事委員会は、選考審査基準と選考審査手続にのっとってその刊行予定物を審査対象にするかどうかの判断をくだせばよいはずです。

富山大学は、竹内潔氏が刊行予定の著書等を研究業績一覧に記載したことにたいして、独善的に想定した「研究者の一般常識や規範」から逸脱した行為として、同氏を懲戒解雇処分としました。「研究者の一般常識」とは、自己の研究を極力アピールすることであり、「研究者の規範」とは、研究データを盗作しないことです。

刊行予定物の記載の不備は、当該大学における記入要領との関係で判断される問題です。たとえ記載が不備であっても、人事委員会で整理すればよい問題です。そのために、どの大学も人事委員会をもうけているのです。

しかも,書類不備で刊行予定物が審査対象の業績からはずされることはあっても、人事の候補者からはずされる事例はきいたこともありません。いわんや、記載の不備が研究者の常識と規範に逸脱するという判断もきいたこともありません。

富山大学の竹内氏に対する処分は、研究者の一般常識と規範から見れば、前代未聞の常軌を逸した行為であり、研究者魂を無視して研究者を抹殺する恐怖行為であります。

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2017年01月18日コメント:弁護士・研究者のコメント

大学人がとるべき態度を欠いたことは元教員として残念の極みー赤阪賢氏(京都府立大学名誉教授、元富山大学人文学部教授)

 

以下は、赤阪賢氏(京都府立大学名誉教授)の意見書の抜粋です。

同氏の許諾を得て、掲載します。

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わたしは1979年4月から1997年3月までの18年間、 富山大学人文学部に助教授 ・ 教授として在職いたしました。

2001年に、富山大学は人文学部入学試験における判定ミスを起こしたにもかかわらず隠蔽していたという事件を起こし、世間の指弾を浴びました。
今回、またもや懲戒権の濫用と言える問題を起こしたことに遺憾の念を覚えます。

富山大学が、人文学部の教授昇任人事に竹内氏が応募した際に提出した業績目録に不備があったとして、「自己を優位に置き、もって、昇任に結びつける」ためにおこなった不正な「虚偽記載」だとしていることに疑問があります。

富山大学人文学部において、わたしの在職中の経験では、 もし業績目録中に業績に「刊行予定」など不明なものがあったとしても、 それを除外して審査にあたることが慣行でありました。記載の不備をとらえて意図的な「虚偽記載」として糾弾することはなく、まして「経歴詐称」などと判断することなどありませんでした。さらに今回のように、人文学部における問題を全学の懲戒委員会に持ち出すことなどは通例にないことでした。

また、「刊行予定」などという「未刊行物の取り扱い」についての実態的慣習について、わたしが立ち会ったかぎりでは、 富山大学人文学部の過去の採用・昇進人事において提出された業績目録などの書類において、そのような記載はさまざまな形態で記入されていました。そのような実態(慣行)が富山大学人文学部をふくむ人文・社会科学系の学会に通例のことと承知しています。

今回、竹内氏の審査にあたった懲戒委員会のメンバー構成が理科系学部に偏ったため、同氏が孤立的な査問状況に置かれたことは遺憾なことです。また、竹内氏の処分理由書においても、 竹内氏に対する処分の量刑を定めるにあたり、個人攻撃に近い表現をとっています。

このような良識の府であるべき大学や大学人がとるべき態度を欠いたことは、富山大学の元教員として残念の極みです。

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2017年01月19日コメント:弁護士・研究者のコメント

処分の内容は不可思議ー船曳建夫氏(東京大学名誉教授)

以下は、船曳建夫氏(東京大学名誉教授)の意見書の抜粋です。
同氏の許諾を得て、掲載します。


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私は、かつて『知の技法』(1994年・東京大学出版会)という書物を編集し、「論文」というもののあり方を厳密に定義し、「論文」という形式を学問的な技法として学生に正確に教えることを企図した者であり、「論文」に関しては人一倍関心を持ってきました。

それゆえ、今回の処分については、率直に驚くばかりです。細かく申し上げる場ではありませんので、諸点については触れませんが、処分の内容は、不当ということに加え、不可思議、というべき感がしました。

ことに、未刊行業績の記載を『虚偽」とされていること、さらにそのような行為が研究者のモラルの欠知のようにとられてしまっていることについてです。

これらは、竹内さん個人についてだけではなく、全国の研究者と大学に関係することなので、深く憂慮します。

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2017年01月19日コメント:弁護士・研究者のコメント

国立大学の「ブラック企業」化に暗澹とするー菅原和孝氏(京都大学名誉教授)

 

以下は、菅原和孝氏(京都大学名誉教授)の意見書の抜粋です。

同氏の許諾を得て、掲載します。


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私が、一研究者として、 またもと大学教員として富山大学という組織体に激しい憤りを感じるのは、公正な処分の手続きを整備しないまま、 執行部の少数の人びとの恣意的な判断で組織のーメンバーを破滅に追いやるという謀略がめぐらされた可能性がきわめて高いと確信しているからです。

この処分を決めた人びとは、竹内氏が自殺することを願っていたとしかわたしには思えません。独立行政法人化されてからの旧国立大学がこれほど「ブラック企業」化していることに暗櫓とします。

数年前にある学会の懇親会で、 私の仕事を尊敬してくれている富山大学の一教員から非常勤での集中講義を打診されました。 そのとき私は竹内氏の処分に言及し、「あのようなことをするお宅の大学にはもう金輪際立ち入らない」と言明し、その人はとても悲しそうな顔をしました。

良識ある人文系の研究者・教員には、私のように富山大学に深く失望し、当大学との研究上の交流を完全に断つことを決心している人びとが少なからず存在しています。

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2017年01月21日コメント:弁護士・研究者のコメント

法人化における権力集中のための「見せしめ」の処分ー内堀基光氏(放送大学教授、一橋大学名誉教授)

以下は、内堀基光氏(放送大学教授、一橋大学名誉教授)の意見書の抜粋です。
同氏の許諾を得て、掲載します。


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富山大学による同大准教授竹内潔氏への懲戒免職処分について聞き及んだ当時から、 私は処分対象の事由と処分内容の間のあまりにも大きな懸隔に驚き、そこには竹内氏と処分の判断を行なったいわゆる執行部を構成する教員、および(あるいは、かもしれません)一部事務職員の間に公にすることが出来ない別の事情が隠されているのではないかと憶測をしてしまったほどです。

国立大学から国立大学法人への移行、いわゆる法人化の時期に当って、大学内部の意思の統一過程あるいは権限が、それまでの教授会から広い意味での執行部、さらには法制的な意味での理事会(役員会)へと集中されるにともない、多くの(旧)国立大学において さまざまな確執が生じたことを見聞きしてきた者として、このような疑念をもつことは比較的自然なことであったと思います。もちろんこうした疑念、疑惑には客観的な根拠はありませんが、それを疑わせるほどに竹内氏への懲戒免職という処分は平衡を欠くという印象を与えました。

処分事由となった業績書記載における瑕疵は、国立大学時代であれば、私が経験したような一部局の長の判断にもとづき大学の上級執行機関が 裁可する事柄として、まさしく瑕疵の語に相応しい程度の事柄であると考えたからであります。こうした瑕疵は、教員の採用人事においてもあるいは昇任人事においても発生しうるものであり、昇任人事に限って言えば、仮にそこに自己の業績を過大に見せようとする一定の作為が認められた場合でさえも、訂正の要求と、昇任の凍結を伴う厳重注意ないし戒告処分が相応というのが、一大学人として私個人の判断であったでしょう。

瑕疵をあえて重大・悪質な違反として懲戒免職という処分を行なったことは、法人化における権力集中のための試行、俗に言えば「見せしめ」のような効果を期待しているのではないかという疑いを私の心中に惹起するに十分でありました。

研究機関、高等教育機関としての大学においては、その設置形態の知何にかかわらず、いかなる恐怖による支配が行なわれることがあってはならないというのが、もとよりの私の考えだからであります。


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2017年01月22日コメント:弁護士・研究者のコメント

処分は文系不要論を利するだけの文系学部「腐敗」の産物ー伊藤裕夫氏(文化政策学会理事、元富山大学芸術文化学部教授)

以下は、伊藤裕夫氏(文化政策学会長理事、元富山大学芸術文化学部教授)のFacebookでの公開投稿の抜粋です。

同氏の許諾を得て、転載します。原文は下記をご覧ください。

https://www.facebook.com/ysitou.cp/posts/753389311507662

 

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昨今人文社会系学部・大学院不要論的な声が政府・財界筋からでていますが、大学はそれに対し、一応「反対声明」は出していますが、予算減らしを恐れ、及び腰になり、「大学の自治」は大きく揺らぎつつあります。

そういった風潮の中で竹内氏の解雇事件は、肝心の人文社会系学部自体が「腐敗」(富山大学だけのことかどうか知りませんが、この数年全く業績がない教授が少なからずおり、彼らが大学院改組に伴う業績審査を恐れ新大学院構想に反対したのが実相です;なお竹内氏はそんな中で毎年のように科研をとったり、論文等も数多く、周囲からねたまれていました)をさらけ出していては、ますます「不要論」サイドを利するだけになりかねません。

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2017年01月23日コメント:弁護士・研究者のコメント