大学人がとるべき態度を欠いたことは元教員として残念の極みー赤阪賢氏(京都府立大学名誉教授、元富山大学人文学部教授)

 

以下は、赤阪賢氏(京都府立大学名誉教授)の意見書の抜粋です。

同氏の許諾を得て、掲載します。

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わたしは1979年4月から1997年3月までの18年間、 富山大学人文学部に助教授 ・ 教授として在職いたしました。

2001年に、富山大学は人文学部入学試験における判定ミスを起こしたにもかかわらず隠蔽していたという事件を起こし、世間の指弾を浴びました。
今回、またもや懲戒権の濫用と言える問題を起こしたことに遺憾の念を覚えます。

富山大学が、人文学部の教授昇任人事に竹内氏が応募した際に提出した業績目録に不備があったとして、「自己を優位に置き、もって、昇任に結びつける」ためにおこなった不正な「虚偽記載」だとしていることに疑問があります。

富山大学人文学部において、わたしの在職中の経験では、 もし業績目録中に業績に「刊行予定」など不明なものがあったとしても、 それを除外して審査にあたることが慣行でありました。記載の不備をとらえて意図的な「虚偽記載」として糾弾することはなく、まして「経歴詐称」などと判断することなどありませんでした。さらに今回のように、人文学部における問題を全学の懲戒委員会に持ち出すことなどは通例にないことでした。

また、「刊行予定」などという「未刊行物の取り扱い」についての実態的慣習について、わたしが立ち会ったかぎりでは、 富山大学人文学部の過去の採用・昇進人事において提出された業績目録などの書類において、そのような記載はさまざまな形態で記入されていました。そのような実態(慣行)が富山大学人文学部をふくむ人文・社会科学系の学会に通例のことと承知しています。

今回、竹内氏の審査にあたった懲戒委員会のメンバー構成が理科系学部に偏ったため、同氏が孤立的な査問状況に置かれたことは遺憾なことです。また、竹内氏の処分理由書においても、 竹内氏に対する処分の量刑を定めるにあたり、個人攻撃に近い表現をとっています。

このような良識の府であるべき大学や大学人がとるべき態度を欠いたことは、富山大学の元教員として残念の極みです。

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2017年01月19日|コメント:弁護士・研究者のコメント